- 2005年8月20日 00:02
- 2005年
久々のエントリ。^^
日テレのドラマ「女王の教室」が面白い。手放しで面白いというよりは、なんだろう・・・
『この物語は 悪魔のような鬼教師に 小学6年の子供たちが戦いを挑んだ 一年間の記録』
毎回なんだかスクールウォーズみたいなフレーズから始まるこのドラマ。
天海祐希扮する小学校の女教師・阿久津真矢が、担任する6年生のクラスで「女王」のように君臨、あらゆる手段を使って生徒たちを支配する。
このドラマがよくある「学園モノ」と一線を画している点は、
・女教師・阿久津真矢は徹底したヒール(悪)役であること
・救われない内容であることが多く、裏切りや無力感にひたすら子供たちをさらし続ける
というところだろうか。
古くは「金八先生」から最近の「ごくせん」まで、「先生=最終的な善人」を軸にした「雨を降らせて地を固める」みたいなドラマに慣れている我々にとっては、非常に「ひっかかる」トコロの多い内容だ。
女教師・阿久津真矢の言動は、どこからどうみても人権侵害そのものであり、全くもって正当化しようがない。ドラマでは、そんな真矢はいとも簡単に校長を始めとする他の教師や保護者たち(いわゆる「オトナたち」)を丸め込んでしまうため、子供たちは自ら真矢に立ち向かうしかない。
※このあたりが結構ウソくさいというか、ありえない感ありまくりなのだけど、まぁ、必要な舞台設定と我慢して見てみよう^^
さらに真矢は、支配を確立するために、自分に逆らう和美(主人公の女生徒)を封じ込めようと、まさに権謀術数、あらゆる手を使ってくる。秘密を親にバラすといって脅す、互いに悪口を吹聴して生徒同士を喧嘩させる、「四人組」のような連帯責任制をしいて相互監視とチクリを助長させるなど、本当に何でもありだ。
「先生=最終的な善人」の法則にとらわれてこの番組を見ていると、ついつい真矢の言動に「本当の真意」を探そうとしてしまい、そのたびに裏切られることになる。ドラマが賛否両論で騒がれるのも納得だ。^^
ただ、一番面白いのは、このドラマが直接子供たちに向けて作られた確信犯的な教育番組ではないか、いうこと。一般的なドラマのように、最終的に先生という「オトナ」が子供たちの悩みや抗争に割って入って解決に導くという筋書きは、今や時代オクレであり、完全なオトナの自己満足、子供にとっては何の示唆も影響も与えることはできない。
このドラマで登場するオトナは、理不尽の塊のような絶対君主か、その蛮行に気づかず簡単に丸め込まれるだらしない「その他大勢」のみであり、子供たちはそんなオトナの助けを一切借りずに自分で悩み、決断し、行動するしかない。また、真矢の非現実的かつ理不尽な行為によって発生する、「裏切り」や「孤立」、「対立」といったものは、現実の小学生には恐らくリアルなものであり、真矢のようなヒール役がいなくても日常的に発生し得るものだろう。
オトナという存在を自分たちを苦しめる徹底的なヒール、もしくは役に立たない弱い存在として描き、「友情」や「クラスのまとまり」、「教科書的な道徳」などを一旦すべてぶっ壊す。ぶっ壊した上で、子供たち自身で選ばせ、再構築させるプロセスを見せるというのが本当の目的なのだろう。
・友達とは仲良くしましょう
・いじめはいけないことです
・クラスで1つにまとまって何かをやりましょう
なんてことを直接言うのではなく、
・友達なんてしょせん頼れない、最後は裏切る
・いじめられるヤツが悪い
・クラス行事なんてかったるいからやるだけムダ
なんていう冷め切った概念をオトナの側から子供に投げつける。そこに対する反作用として、初めて子供が自分で考え、判断し、選びとることができる、と。
ということで、ついつい毎回見てしまうこのドラマ。目下気になるのが、最後にどういう折り合いをつけてこのドラマを終わらせるか、ということ。あまりに徹底したヒールとして描いてしまった女教師・阿久津真矢を「やっぱり全部わかってた。いい人でした。」なんていうのじゃオチないだろうし。
第8回になって、真矢の過去だとか、「再教育センタ」で洗脳されただとか、そんなキーワードが出てきているので、その辺をつかってまとめるつもりなんでしょうが。。「夢オチ」みたいな、そんなしょうもない終わり方じゃなければ良いなぁ。
日本テレビ系の人気ドラマ「女王の教室」(土曜午後9時)のスポンサーが、内容の過激さや、それに伴う視聴者からの批判などを受け、提供クレジットの紹介を“敬遠”するという事態が起きている。
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