- 2005年7月26日 18:02
- 70 本でも読むか
本の雑誌「ダ・ヴィンチ」で「プラチナ本」と称して推薦されていた作品。上記あらすじにあるように、亜紀という女性の人生を4つの時点で切り取った短編からなる小説。 う~ん・・・女性はこれに共感するの?「私という運命について」 白石 一文冬木亜紀という女性の29歳から43歳までの出来事をつづった4編の書き下ろし。「冬の手紙」での亜紀は、結婚式の招待状の前で逡巡する29歳。大手メーカーに勤務する彼女は、何故、彼のプロポーズを受けなかったのかを考えながら、分かれる際に彼の母親から届いた手紙を読み直すことに。。「黄葉の手紙」の亜紀は33歳。転勤先の博多で年下のデザイナーと結婚を前提に付き合っている。お互いに運命を感じながらの順調な交際が続く折、ある事件がおきる。ほか2編。
主人公の亜紀は、大手メーカーに勤めており、仕事もできて容姿もよいという、はたから見て「カッコイイ」女性。その彼女が、29歳、32歳と年を重ねていくなかで、自分の幸せの定義に苦しみ、これまでの人生の選択の妥当性を疑い、やがて自分なりの答えを見つけていくという内容。
正直、この主人公の考え方や、随所での選択、幸せの定義の全てについて違和感を覚えた。個人として共感やロールモデルを期待して読むことはできない。
反対に、一歩引いて一人の女性の生き方として見た場合、どの程度の女性から共感が得られるのかも疑問。
29歳の章では、過去の恋人との結婚にふみきれなかった理由が、「相手があまりに凡庸に過ぎた」から。32歳の時、運命を感じて結婚を堅く決意していた相手にも、交通事故という極限状態での相手の態度に「幻滅」して一気に冷めてしまう。いずれの場合も、後に自分の理解の浅さと判断の早計さに気づくのだが、そうしたときに持ち出すのが「運命」という概念。
運命とは選択の積み重ねによって自分で掴み取るものか、
それともおおらかな心で受け入れることによって認識されるものなのか
がテーマのごとく語られるが、その実、うまくいかない現状、幸せでないことを「運命」のせいにして過去の選択を呪うか、自分の手の及ばぬ大きな流れのせいにするかを迷っているに過ぎないと思う。
何度も同じような後悔を繰り返しながらも、肥大化した自我を抑えきれず、他者に対する幻滅や叱責には躊躇がない。多くの年月をかけて至る結論が、「幸福」=「出産」であったり、「運命とは受け入れた上で、それを自分の力で守り通すことで初めて自分のものとなるもの」といった中途半端な弁証法的解決であったりするところもげんなり。
そんな運命だったら要らんわ!とか、こんな女は絶対にイヤ!とか思いながら読んだ1冊でした。ただね、そんな揺さぶり方もあるかなってのと、お話としてはそこそこ面白かったので2+1で★3つでした。
![]() | 私という運命について 白石 一文 角川書店 2005-04-26 |
