- 2004年2月 8日 22:08
- 90 マジメな話
哲学というにはショボイのだが、自分なりのスジ。
「人間は何のために生きているのか」という問いには、
「幸せになるため」と答えたい。
「じゃあ、幸せって何さ?」と問われるならば、
「自分が必要としている誰かに、自分が必要とされていること」と答えよう。
幸せを定義しようとした時、他者との関係抜きには考えられないし、考えてはいけないと思う。他の動物と人間とを隔てる大きな違いの一つは、「自分以外の他者との関わりにおいて幸福を捉えられる」ことではないかと思う。故に人間はより充実した生を享受できるとともに、弱さも併せ持つことになったのだと思う。
「自分なんていなくてもいいんだ」と思ったら、幸せではないだろうし、生きていくのも辛くなりそうだ。逆に例え1人でも、自分を本当に必要としてくれる人間がいれば、人は生きていける。
「自分がいなきゃいけない」と思えることで力が沸いてくるし、満ち足りた充足感を味わうこともできる。他者が不在の一時の快楽は、自慰行為と一緒で結局は空虚感を伴うもの。幸せのイメージとはちょっと違う。
産まれて最初に、そして無条件に自分を愛し、必要としてくれるのは親だろう。
その後は、様々な人と出会いながら、より多くの人と「必要とし・される関係」を築きながら自己の存在価値を確認し、充足を求めるようになる。
そして、幸せに貪欲で積極的な人間は、自ら他者を求め、より多くの人から強く必要とされるために知識・知恵・力を身につけ、いくつもの関わりを持っていく。慎ましく消極的な人間は、今自分を必要としてくれる人間を大事にしようと日々心を配り、さらに強い関係を築いていくかもしれない。
どちらにせよ、幸せは他者との関係の中に存在する。昔、「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメが流行ったことがあったが、アレのメインテーマというのも、そのような話だったと思う。
自分は、このような幸せに対して積極的・貪欲にアプローチをしていきたい。
「皆に好かれたい」とは思わないが、今自分を必要としくれる家族や友人を大事にしていきたいし、仕事においてはより多くの人間に影響を与えられるだけの能力を身につけ、できるだけ多くの局面・組織・場所において必要とされる人間でありたい。
WEBにこんなこと書いてんのも幸せ探求の1つなんだろな。
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